千利休居士聚楽屋敷趾

千利休居士聚楽屋敷趾は、京都市上京区にある。
晴明神社の鳥居横に、千利休居士(こじ)聚楽屋敷趾と記した石標が建てられており、次のように刻されている。

東面 千利休居士聚楽屋敷趾
西面 平成十六年(2,004年)十月居士十四世休庵千宗守
北面 晴明神社の地は千利休宗易居士が聚楽屋敷を構え茶事を催し
    茶湯に用いたとされる井戸が現存する旧跡である。→ 晴明神社 晴明井
南面 平成十五年神幸祭晴明少年鼓笛隊々長
                   奉仕記念
    晴明神社御鎮座壱千年祭奉賛会会長

千利休(1522-1591)は、豊臣秀吉に仕えた茶人である。
秀吉が天正14年(1586)に聚楽第を造営し、千利休の邸宅を与えた。
「茶道要録」には、この邸宅の位置を「葭屋町通り元誓願寺下ル町」と記されている。

秀吉に切腹を命じられた千利休は、聚楽屋敷内で茶を点てた後に自害した。(70歳)
晴明神社から約100mの場所にある一條戻橋のたもとに首をさらされたと伝えられる。
妻の宗恩がその遺骸に白い小袖をかけたという。




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