国指定史跡 四箇郷一里塚

国指定史跡 四箇郷(しかごう)一里塚は、和歌山市新在家にある江戸時代の交通遺跡である。
一里塚は和歌山城の外堀(現在の市堀川)にかかる京橋を起点に一里(約4km)ごとに旅行者に移動距離を示す目印として街道の両脇につくられた。
四箇郷一里塚は京橋を出発して最初に通る一里塚である。現在も北塚と南塚が道の両側に良好に残っている。
そのため、昭和15年(1940)に国の史跡に指定された。
史跡指定時の松は北塚が昭和54年(1979)、南塚が昭和59年(1984)に植え替えられた。
抜き取った松の年輪を調べた結果、江戸時代に何度か植え替えられていたことが判明した。

四箇郷一里塚の大きさは、北塚、南塚ともに直径約10mあり、高さは北塚が2.5m、南塚が2.2mある。
国道24号線をつくる際に、盛土がおこなわれており、現在は0.7mほどが道路の下に埋まっている。
そのため、当時は現在確認できるよりも大きな塚であった。

参勤交代は原則として一年おきに、諸大名を江戸と領地とに居住させるものである。
紀州藩でも初代藩主 徳川頼宣が49年間に20往復、第2代藩主光貞は38年間に19往復しており、御三家の一つとはいえ、他の大名と同様に参勤交代が課されていた。
そのため、和歌山でも街道が整備され、八軒家、山口などの宿場も発達した。
藩主が参勤交代で江戸に旅立つ際には、藩士たちは四箇郷の一里塚まで来て一行を見送り、江戸から帰国する時もここで出迎えたとされており、四箇郷一里塚は江戸時代に参勤交代時の目印としても使用されていた。



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