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島庄遺跡は、奈良県高市郡明日香村にある。
石舞台古墳の西方に位置する島庄(しまのしょう)遺跡には、数時期の遺構が発見されている。
7世紀前半の遺構に、石積護岸を持った内法一辺の長さ42m、深さ2m、堤の幅10m、池底に玉石を張った方形の池が検出され、この池の周囲からは、石組暗渠、苑池跡、掘建柱建物などの遺構が確認された。
日本書紀では、「大臣(おおおみ/おおまえつきみ)(蘇我馬子)は、稲目宿禰の子なり。性、武略有りて、亦弁才有り。
似て(よって)三宝を恭(つつし)み敬(とうと)ひて、飛鳥河の傍に家(し)せり。及(すなわ)ち庭の中に小なる池を開(は)れり。
仍(よ)りて小なる嶋を池の中に興(きず)く。故、時の人、嶋大臣(しまのおおおみ)と曰ふ。」との記述がある。
蘇我馬子は、畝傍山の東南麓、軽の範囲内に居宅を構え、推古天皇が豊浦宮から小墾田宮に遷ったのに伴い、当地に移ったと考えられている。
邸内の苑池に道教の神仙世界をかたどった嶋があったことから、嶋大臣と呼ばれた。
蘇我馬子亡きあとは、天皇家に提供されて、「嶋宮」となった。
嶋宮に住んだのは、舒明天皇の母で「嶋皇祖母命(しまのすめみおやのみこと)」と呼ばれた糠手姫皇女(あらてひめのみこ)、皇極天皇の母「吉備嶋皇祖母」と呼ばれた吉備姫王、東宮(皇太子)の草壁皇子などの皇族であった。
「万葉集」巻2の中に、草壁皇子死去の際、柿本人麻呂やその舎人が悲しんで次の歌を詠んでいる。
島の宮 勾(まがり)の池の 放ち鳥
人目に恋ひて 池に潜(かず)かず
(巻2-170)
島の宮 上の池なる 放ち鳥
荒(あら)びな行きそ 君いまさずとも
(巻2-172)
東(ひむかし)の 滝の御門(みかど)に 司侍(さもら)へど
昨日も今日も 召すことも無し
(巻2-184)

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