志摩鳥羽 稲垣家供養塔

志摩鳥羽 稲垣家供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
中の橋から「金の川」を北に約80m入ったところにある。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、大型五輪塔1基、中型五輪塔10基、小型五輪塔7基、中型屋根付墓標6基、小型墓標6基がある。
通路と川の間にある大型五輪塔は、三河刈谷藩初代藩主 稲垣重綱供養塔である。
五輪塔地輪には、重綱の別名 重種の名と重綱の法名 法性院光岳宗本の文字が刻されている。
建立者は、「孝孫 稲垣重祥」と刻されており、三河刈谷藩二代藩主 稲垣重昭である。
稲垣重昭(1636-1703)は、稲垣重綱の長男 稲垣重昌の長男である。父の重昌は稲垣家の世子であったが、
重昭誕生の前に死去したため、嫡孫にあたる重昭が祖父の死去により家督を継いだ。
稲垣家は、慶長6年(1601)に稲垣重綱の父 稲垣長茂が上野伊勢崎(現群馬県)藩主となって以降転封が続いたが、
享保10年(1725)稲垣昭賢が志摩鳥羽に入封して定着した。
上記報告書によると、当地墓所には、志摩鳥羽藩初代藩主 稲垣昭賢以下の藩主供養塔がある。



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