下野宇都宮藩 奥平家供養塔は、和歌山県高野山奥の院24町石東にある。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、墓域内には、大型五輪塔1基、中型五輪塔4基、小型五輪塔30基、無縫塔1基、宝篋印塔2基などがあり、中央に京都登山界の納骨塔が建立されている。
主な供養塔は次のとおりである。
写真番号 | 供養者名 | 没年 | 法名 | 備考 |
① | 下野宇都宮藩主 奥平 家昌 |
慶長19年 (1614) |
六通院殿前大官令 天眼道高大禅定門 |
宝篋印塔 |
② | 下野宇都宮藩主 奥平忠昌夫人 桂獄院 |
寛永19年 (1642) |
桂獄院殿少室 香林大禅定尼 |
大型五輪塔 |
③ | 下野宇都宮藩主 奥平忠昌の娘 陸奥国棚倉藩第2代藩主 内藤信良 正室 |
恵照院殿□□ 宗空大禅定尼 |
中型五輪塔 |
正面中央の宝篋印塔(総高191cm)は、奥平家昌供養塔で、基礎各面には次のように刻されている。(巽三郎氏「紀伊國金石文集成ー続」参照)
慶長十九年
関東下野宇都宮城主
六通院殿前大官令
天眼道高大禅定門
奥平大膳大夫家綱公
拾月十日
宿坊五之室
中性院良雄
奥平家昌(1577-1614)は、江戸時代前期の大名である。
奥平信昌の長男で、母は徳川家康の長女 亀姫である。関ヶ原の戦いで徳川秀忠に従い信濃上田城を攻めた。
慶長6年(1601)下野宇都宮藩主(10万石)となった。
慶長19年10月10日死去。前名は家綱、通称は九八郎と呼ばれた。
奥平忠昌(1607-1668)は、奥平家昌の長男で、徳川家康の曽孫にあたる。
正室 桂獄院(けいがくいん)は、鳥居忠政(鳥居元忠の次男)の娘である。
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