下野大田原家供養塔

下野大田原家供養塔は、和歌山県高野山奥の院20町石北にある。
大田原氏は、下野国の大名 那須氏に属する豪族衆「那須七党」(那須七騎)の一つであった。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐で、大田原晴清が参陣し、7000余石の所領を安堵され、関ヶ原の合戦後徳川家康から5000石を加増され、1万2000石の大名となった。
下野大田原藩は、初代の大田原晴清以降、大田原城(現在の栃木県大田原市)を藩庁として、明治維新まで同家が藩主を務めた。
当地の墓所には、大・中型五輪塔7基、小型五輪塔3基ほか多数の石塔がある。
木下浩良氏の「戦国武将と高野山奥之院」によると、次の供養塔が紹介されている。
大田原晴清供養塔 寛永8年2月5日 「奪勝院殿印国永金大居士」
大田原晴清夫人供養塔(水輪が欠損している) 寛永16年5月16日 「満鏡院殿輝□清光大姉」



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