下総関宿藩 小笠原家供養塔

下総関宿藩 小笠原家供養塔は、和歌山県高野山奥の院27町石南西にある。
中の橋から御廟に向かう覚鑁坂中ほどの南側(参道右手)に位置する。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、当地墓所には中型五輪塔2基、櫛形墓標2基、圭頭板碑2基がある。
写真左の五輪塔(風輪と空輪が落下したもの)は小笠原政信供養塔で、地輪には次のように刻されている。
生國下総関宿城主
今者美濃高須城主
(梵字)爲 圭山瑞雲
施主信士淳□院造立之
寛永十七年七月二日□

小笠原政信(1607-1640)は、慶長12年に小笠原信之の長男として生まれた。
慶長19年には下総(しもうさ)古河(こが)藩主小笠原家2代となった。
大坂の陣に出陣し、元和3年の日光東照宮社殿竣工時に、徳川秀忠社参に際して、古河城で饗応している。
元和5年(1619)下総古河2万石から下総関宿2万7千石に転封となった。
寛永17年34歳で死去し、家督は婿養子の貞信が継いだ。



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