真光寺 一遍上人御廟

西月山真光寺は、神戸市兵庫区松原通にある時宗の寺院である。
本堂には、本尊の宗祖一遍智真像と弥陀三尊が祀られている。

一遍上人(1239-1289)は、鎌倉時代中期の僧で、時宗の開祖であり、遊行聖として知られる。
伊予(愛媛県)の豪族 河野七郎道広の子で、幼名を松寿丸、のち通尚(みちひさ)と称した。
10歳で母が亡くなり、出家した後、14歳で大宰府の浄土宗西山流の僧 聖達に学んだ。
その後、智真、一遍として、全国各地で、「南無阿弥陀仏 決定往生 六十万人」と記した念仏算(ふだ)を賦(くば)る賦算の旅(遊行)を続けた。
目録に入る数が25万余りといわれるほど多くの人々と念仏結縁し、最後に、正応2年8月23日当地 和田の御崎島 観音堂において51歳で入寂した。
後に、弟子の他阿上人真教がこの地に寺を建立し、伏見天皇から寺号勅額を賜って、真光寺とした。
一遍は臨終に際して所持の経典を焼却し、「我がなきがらは野に捨てけだものなどに施せ」との言葉を残したが、多くの信者により荼毘に付され、のち五輪塔が建立され、元禄年間に現在の「一遍上人御廟」に改造された。
南北朝時代に再建された高さ1.5mの石造五輪塔は、昭和46年に兵庫県の史跡に指定されている。
一遍上人に対して、1886年に円照大師、1940年に証誠大師の勅諡号が下されている。

境内には、平清盛が当寺に真野弁財天を勧請した時、僧が井戸の水でお茶をたてて献上したと伝わる「平清盛公 御膳水の井戸」がある。
その後、真野弁財天は神戸大空襲で焼失し、インドから招来した弁財天が観音堂に祀られている。
神戸市営地下鉄海岸線中央市場前駅下車、徒歩10分。



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