信太森神社(葛葉稲荷神社)

信太森神社(葛葉稲荷神社)は、大阪府和泉市葛の葉町にある。
この神社は、正式には「信太森神社」、通称「葛葉稲荷神社」と呼ばれる。
社伝によると、創建は和銅元年(708)で、当社には安倍保名と葛の葉姫の恋物語が言い伝えられている。
葛の葉伝説ともいわれ、阿倍野の里に住んでいた安倍保名と信太の森に住んでいた狐が夫婦となり、その間に安倍晴明が生まれたとの話で、狐が夫と子との別れに、障子に次の一首を書き残したといわれる。
 恋しくは尋ね来て見よ和泉なる
  信太の森のうらみ葛の葉

「新古今集」には、赤染衛門と和泉式部の次の贈答歌があり、信太森に葛を詠み合わせた初出の例である。
 移ろはで しばし信太の森を見よ かへりもぞする 葛の裏風  赤染衛門
 秋風は凄く吹けども 葛の葉の 恨み顔には みえじとぞ思ふ  和泉式部
境内には、和泉ロータリークラブの建立した和泉式部の上記歌碑が建立されている。
また、「葛の葉のおもて見せけり今朝の霜」と刻された松尾芭蕉句碑もある。
本殿西側には、白狐が姿を隠したというクスノキ「千枝の楠」(和泉市指定天然記念物)や、葛の葉姫が姿を映したという「姿見の井戸」がある。

江戸時代の「和泉名所図会」(寛政7年(1795)」には、
「信太社 稲荷祠 一名葛葉祠と称す」
と記されている。 

「葛の葉伝説」の起源は、室町時代の終りごろの口承芸である説教節「信太妻」といわれ、その後広く知られるようになったのは、浄瑠璃や歌舞伎の演目に取り入れられたのがきっかけと考えられている。
延宝7年(1674)に浄瑠璃「しのだづまつりぎつね付あべノ晴明出生」が作られ、いくつかの「葛の葉伝説」をモチーフにした浄瑠璃が登場する。
なかでも、最も人気を集め、現在でも演じられる演目として定着したのが「蘆屋道満大内鑑」である。これは享保19年(1734)に竹田出雲が浄瑠璃の台本として書いたもので、歌舞伎にも取り入れられた。
陰陽道の秘伝の書をめぐる、安倍保名と蘆屋道満の対決や、宮中の政権争いの陰謀を背景に、安倍晴明にまつわるエピソードが盛り込まれている。



TOP PAGE  観光カレンダー
TOP PAGE  观光最佳时期(旅游日历)