信州真田家供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院28町石東の高麗陣敵味方戦死者供養碑北側にある。
現地の案内標柱には、信州真田旧伯爵家累代墓所と書かれている。
向かって左端の五輪塔は信州埴科藩第2代藩主 真田信重の供養塔である。
真田信重(1599-1648)は、信濃松代藩主真田信之の三男である。
寛永16年(1639)に兄の真田信政が支藩上野(こうずけ)沼田藩に移ったため、埴科藩主となった。
慶安元年10月25日に50歳で死去、嗣子がなかったので、領地は幕府の承認を得て松代藩に返された。
松代藩真田家の家督は、真田信政が継ぎ、明治維新まで存続し、子爵を経て伯爵となった。
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