信州諏訪家供養塔

信州諏訪家供養塔は、和歌山県高野山奥の院21町石北東にある。
数取り地蔵(授籌地蔵)横の参道を北西に約40m登った場所にある。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、墓所内には大型五輪塔18基、中型五輪塔4基、小型五輪塔15基などが建立されている。
信州高島藩主の諏訪家は、諏訪神社の生き神、大祝(おおほうり)を出す家から、戦国大名になった家系である。
甲斐の武田信玄に本家は滅ぼされたが、その分家が家名を存続させた。
安土桃山時代には、豊臣秀吉から送られた日根野家が支配したが、諏訪頼忠(1536-1605)が諏訪家を再興し、慶長6年(1602)、徳川家康に取り立てられた諏訪頼水(1570-1641)が群馬から故地高島(2万7千石)に戻って統治した。
諏訪頼水は、諏訪湖を干拓し、諏訪神社の神領として古代から立ち入り禁止だった八ヶ岳山麓を開拓して、新田造成につとめた。
その後、近世大名として、加増分知を経て、最終的に3万石を得て明治維新を迎えた。
当地には、諏訪頼忠夫妻(「久明寺殿光山宗湖大居士」「理昌院殿王榮貞珠大姉」)ほか歴代藩主の供養塔が建立されている。



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