白子屋お熊供養之碑

白子屋お熊供養之碑は、東京都港区の常照院にある。

白子屋お熊(1703-1727)は、江戸日本橋の材木問屋「白子屋」の長女である。
父は店主 白子屋庄三郎、母はつねで、婿として又四郎を迎えた。
お熊と又四郎の縁談は、資金繰りに窮していた白子屋が資産家の息子の又四郎の結納金目当てで、お熊は手代の忠八と関係していたことから、つねとお熊らが又四郎の殺害を計画したが失敗し、白子屋の関係者は、奉行所で裁かれた。
享保11年12月7日に大岡忠相の裁きが下り、お熊は享保12年2月25日に市中引き回しの上獄門に処せられた(行年23歳)。
お熊は、江戸市中引き回しの際に、黄八丈の小袖に水晶の数珠を掛け、馬上で法華経の普門品(ふもんぼん)を唱え、世間の耳目を集めたという。→ 常照院 白子屋お熊供養之碑建立

お熊と白子屋事件は、後年に演劇芸能の題材となり、安永4年(1775)の人形浄瑠璃「恋娘昔八丈」(松貫四、吉田角丸合作)のヒロイン 城木屋お駒として描かれた。
当地には、「史跡 恋娘昔八丈 城木屋お駒墓所 / 昭和四十三年十二月建立 新内協會」と記した石碑が建立されている。

恋娘昔八丈の城木屋お駒は、次のように描かれる。
材木問屋城木屋の娘で、髪結いの才三(さいざ)こと才三郎と人目を忍ぶ仲であった。
城木屋の家運が傾き、佃屋喜蔵とという持参金付きの婿と祝言をあげることになる。
才三郎から喜蔵の所持する茶入(ちゃいれ)を詮議するように頼まれ、喜蔵を殺す。
鈴ヶ森で処刑となるところ、喜蔵が茶入の盗賊と判明し、お駒は赦免となる。

また、港区の専光寺には、白木屋お駒の墓所がある。



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