四寸岩(しすんいわ)は、和歌山県高野町西郷にある。
四寸岩の上部に四寸岩記念碑と石塔が建てられている。
現地の案内板には、次のように記されている。
四寸岩とは、弘法大師空海の足跡と伝承される窪みが2つ残る岩のことで、名前の由来は、窪みの幅が4寸(約12cm)であることからです。
かつて、高野七口のひとつである高野街道京大坂道を利用する上で、参拝者はこの場所を必ず通らなければなりませんでした。
「紀伊国名所図会」には、
「(前略)往来の人、片足をここにかけざれば、歩むことなりがたし。故に世人伝えて、親の足跡を踏むといひ習はせり(後略)」
とあり、四寸岩は難所のひとつであるとともに、信仰の対象となっていたことがわかります。
また、古くは「紀伊続風土記」にこの岩について
「(前略)古老の伝にこの足痕は大師の踏凹め給ふ(後略)」
とあり、江戸時代にはすでに伝承が存在していたことがわかります。
「高野山独案内名霊集」(明治30年刊)には、参詣の道路名勝として次のような紹介がある。
これぞ名高き
四寸岩 昔大師はこの山を。開き給ひしそのをりに。踏みて残せし足の跡。千代も朽せぬこの岩を。
父や踏みけむ母上も。踏みて縁(えにし)を結びけん。こひしき父母や同胞(はらから)の。契り堅き岩の跡。
心残して過行けば。清く流るゝ渓川(たにがわ)の。無為正浄の水の音。聞くもうれしき極楽橋。渡ればこれぞ不動坂(後略)
また、「伝説の高野山」(昭和4年刊)には、上記の紀伊続風土記の内容を踏まえて、次のように記されている。
四寸岩
乗物に拠らず、舊道を通って極楽橋から四丁計り下ると往来を塞いで大きな岩がある。
これが四寸岩で、大師の足跡だと言ふ凹んだ個所がある。昔の参詣人は皆この凹みを踏んで上ったものだ。
これをこじつけて止駿岩、即ち駿馬も攀ぢる事が出来ないので、此處で止まったのだと言ったり、いや子孫岩で、過去の親の足跡を踏むからだと言ふ説もある。
もっと穿つたのでは、「蟻のとわたり」と称へて、人間のからだに譬へ、此處を通つたら、どんな悪人でも生まれ代ると言ふ説も傳へられている。
あの明治の仇討もこの四寸岩を越せば打てなかったのだと、附け加へる者もある。
明治維新以降、牛馬道が開設され、当地を通過する参詣人がなくなって荒れていたため、明治26年には、高野村大字西郷の清水五兵衛から高野山教議所宛てに道路修繕の願書が出されている。
また、その後、現在の南海電鉄高野線の前身である高野山電気鉄道の極楽橋駅が昭和4年(1915)に建設されたため、四寸岩周辺は一般の人が通過しなくなった。
南海高野線極楽橋駅から徒歩約20分。