![]()
角藤定憲改良演劇創始之地碑は、大阪市西区新町南公園にある。
石碑には次のように刻されている。
(表面)
角藤定憲改良演劇創始之地
(裏面)
この附近新町座に於いて明治二十一年十二月三日角藤定憲が改良演劇と稱して壮士芝居を公演せり
明治四十年一月二十日神戸大黒座樂屋にて急逝す
劇團新派来演を機にこの地に碑を建て角藤定憲の功績を永遠に賛える
昭和三十五年一月二十日 劇団新派 (以下略)
角藤定憲(すどうさだのり)(1867-1907)は、明治時代の俳優である。岡山に生まれ、京都で巡査を勤めたのち、大阪で「東雲(しののめ)新聞」の記者となり、自由党壮士として活動していたが、
中江兆民、栗原亮一の示唆により、演劇を通じて大衆の啓蒙を図ろうと決意した。
明治21年(1888)12月に、大阪の新町座で「大日本壮士改良演劇会」の旗揚げ公演を行い、
角藤の作といわれる「耐忍補之書生貞操佳人(こらえのしょせいていそうかじん)」と「勤王美談上野曙」を上演し、のちにこれが新派劇の嚆矢といわれた。
その後、西日本を巡業し、1894年に「快男児」をもって上京したが、すでに川上音二郎らの新派劇が定着した後であまり評判とならなかった。
その後も「壮士演劇の元祖」として各地を巡業したが、晩年は不遇で、神戸の大黒座楽屋で巡業中に没した。

TOP PAGE 観光カレンダー
TOP PAGE 观光最佳时期