多賀大社

多賀大社は、滋賀県多賀町にある神社である。
祭神は、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)の二神である。
古事記に「伊邪那岐の大神は淡海(あふみ)の多賀に坐(ま)します」と記されており、延喜式には「多何神社二座」とある。
古来、延寿の神として朝廷から武家、庶民まで広く厚い崇敬を集め、近世には「お多賀さん」と呼ばれて親しまれた。
豊臣秀吉は、母の病気平癒のため、天正16年(1588)に米一万石を寄進しており、
これによって社殿整備がなされ、参道に太閤橋(太鼓橋)が架けられた。
旧官幣大社で、昭和22年(1947)に多賀神社から多賀大社に改められた。
伊勢神宮の祭神 天照大神の祖神を祀ることから、
「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」とか「伊勢にゃ七度熊野へ三度、お多賀さまへは月参り」と里謡に歌われたという。

本殿は昭和7年(1932)に造営されたもので、参集殿の奥には、江戸時代中期建造の奥書院がある。
書院庭園は、安土桃山時代築造の池泉観賞式で、国の名勝に指定されている。
拝殿の東側には、寿命石と祈願の白石がある。
俊乗房重源が、後白河上皇から東大寺再建の勧進を託され、大神宮に三度参拝し、さらに寿命守護を祈るため当大社に参籠した。
その満願の際に「莚」の字の虫食いのある柏葉を授かり、二十年の延命を感得、大業を遂げたといわれている。
この寿命石は、重源上人がその霊験を得た際のゆかりの石といわれ、その故事から白石に願いを書いて祈願する参詣者が多い。
元正天皇の御病気平癒を祈り、その吉瑞に始まるという名物の「お多賀杓子」にも願いが書かれている。
社宝として、紙本金地著色調馬・厩馬図(桃山時代の六曲屏風、国指定重要文化財)、三十六歌仙絵(六曲屏風、県指定文化財)、
元弘3年、正慶2年(1333)の五辻宮の朝敵誅伐成就の寄進状、武田信玄の娘安産の祈願文などがあり、宝物館に展示されている。

4月22日の古例大祭は「多賀まつり」と呼ばれ、騎馬行列が50頭続き、鎌倉時代の伝統を今日まで伝えている。
そのほか、節分会、御田植祭(6月第2日曜日)、万灯祭(8月3~5日)などの行事が行われる。
近江鉄道多賀線多賀大社前駅下車徒歩10分。参拝者用の駐車場がある。



糸切餅

糸切餅は、米粉から作った餅で多賀名物として知られている。
由来書によると、凡そ七百年前北条時宗の時代に、蒙古王国の忽比烈を将として多数の兵船が筑紫の浦に押し寄せたため、その国難に際し、全国挙げて神社仏閣に祈願した。
すると俄に神風が起こり蒙古の船が悉く沈没し、生還者は僅かに三名と伝えられている。この時の戦捷品は多賀大社に奉献された船塚である。
その由来に基づき、名物糸切餅の色彩を施しているのはその船印で、又糸で切るのは、国家平和で刀鎗を使わず且つ寿命を保って長く栄えさせる心を示している。


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