六朝柱石 武内宿禰碑

六朝柱石 武内宿禰碑は、和歌山県高野山奥の院33町石南東にある。
石碑には、次のように刻されている。

(西面)六朝柱石武内宿禰碑
(東面)宇宙庵 吉村長慶謹設 
       無量光院支配
(北面)我欲得武内大臣墓地探詢東西討□巷設茲多□□一説云大和國
    室墓是之生□□星□□□海一變□無確跡嗚呼遺憾莫之大仍今回
    建碑平當山□表遠孫之□□渓□其識之
     明治二十三□秋九日

武内宿禰(たけのうちのすくね)は、記紀などにみえる伝承上の人物である。
日本書紀によると、父は孝元天皇の孫にあたる屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおごころのみこと)、母は紀直(きのあたい)氏の祖先 莵道彦(うじひこの娘の影媛(かげひめ)とされる。
古事記では、孝元皇子の比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)を父、木国造(きのくにのみやつこ)の祖先 宇豆比古(うずひこ)の妹の山下影日売(やましたかげひめ)を母と伝え、その七子は、波多(はた)、許勢(こせ)、蘇我(そが)、平群(へぐり)氏ら二十七氏の始祖とされている。
景行(けいこう)、成務(せいむ)、仲哀、応神、仁徳の五朝にわたって仕え、その間、景行朝には東国を巡察し、成務朝には初めて大臣となり、さらに仲哀の死後、神功皇后を助けて新羅征討を行うとともに、忍熊(おしくま)の反乱を鎮めた。
これらの活躍は伝承の域を出ず、後代に創作されたと考えられている。一方、物語の中にはなお古い伝承的要素を残している部分もあり、その原像は五世紀代に活躍した幾人もの武将たちのイメージを一人の人物に集約したものであったと考えられている。



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