玉造稲荷神社

玉造稲荷神社は、大阪市中央区にある神社である。
主神は、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)で、相殿に、下照姫命(しもてるのひめのみこと)、稚日女命(わかひるめのみこと)、軻遇突智命(かぐつちのみこと)を祀っている。
創祀は、垂仁天皇18年(紀元前12年)とされ、古代には「日本書紀」に記された玉作部の居住地となっていた。昭和61年(1986年)には境内東側に難波・玉造資料館が建てられ、古代玉遺物、古新羅時代の首飾りなどが展示されている。
その後、物部氏と仏教受容問題で争った聖徳太子(厩戸皇子)は、当神社で戦勝祈願し、戦乱後に自ら観音堂を建立したと言われている。

近世では、大坂城の鎮守神として、豊臣秀頼や淀君から厚く崇敬された。
境内には、豊臣秀頼寄進の石鳥居が残されている。この鳥居は、慶長8年3月に建立された後、大坂夏の陣と第2次世界大戦の戦禍を経て、平成7年(1995年)の阪神淡路大震災で基礎を損壊したため、境内北側に上半部が保存されている。

玉造神社から南西の玉造禰宜町(玉造2丁目)に、千利休の屋敷があったことから、境内には、千利休居士顕彰碑や「利休井」、秋田實笑魂碑がある。

また参道横には、大坂三十三所巡り・第十番札所碑と近松門左衛門の作品碑(「卯月の紅葉」「曽根崎心中」)がある。
元禄時代、玉造稲荷神社に観音堂があり大坂三十三所観音の第十番札所となっていた。
近松門左衛門の「曽根崎心中」では、玉造稲荷の夏祭りが暗闇の中で行われたことから、次のように浄瑠璃が語られる。
大坂三十三所観音廻り
一番に天満の融寺。(中略)そなたにめぐる夕立の雲の羽衣 蝉の羽の薄き手拭 
暑き日に つらぬく汗の玉造稲荷の宮に迷ふとの 闇はことわり御仏も 衆生のための親なれば(後略)

大阪メトロ中央線の森の宮駅下車、徒歩5分。




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