玉津島神社

玉津島神社は和歌山市和歌浦中にある神社である。
祭神は、稚日女尊(わかひるめのみこと)、息長足姫(おきながたらしひめ)尊、衣通姫(そとおりひめ)尊、明光浦霊(あかのうらのみたま)の四柱である。
社伝によると、天照大神の妹神の稚日女尊(丹生都比米神)を祀り、後にこの大神を尊崇した神功皇后(息長足姫尊)を併せて祀り、その後、衣通姫を合祀したという。
神亀元年(724)紀伊国に行幸した聖武天皇は十日あまり玉津島頓宮に逗留し、浦の名を弱浜(わかはま)から明光浦に改めた。
行幸には宮廷歌人も同行し、万葉集巻6には、玉津島を詠んだ山部赤人の歌が納められ、社殿横に次の万葉歌碑が建てられている。

   和歌の浦 万葉歌碑
  神亀元年(724)甲子冬十月五日、紀伊国に幸(いでまし)しし時に
  山部宿祢赤人(やまべのすくねあかひと)の作る歌一首 幷に短歌
 やすみしし わご大王の 常宮(とこみや)と 仕へまつれる 雑賀野ゆ
 背向(そがひ)に見ゆる 沖つ島 青き渚に 風吹けば 白浪騒き
 潮干(ふ)れば 玉藻刈りつつ 神代より 然(しか)ぞ貴き 玉津島山
                                       (巻六-九一七)
  反歌二首
 沖つ島 荒磯(ありそ)の玉藻 潮干満ち い隠りゆかば 思ほえむかも
                                       (巻六-九一八)
 わかの浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る
                                       (巻六-九一九)

 衣通姫は、第19代允恭天皇妃で、和歌の名手として知られている。
第58代光孝天皇が病の時、夢の中に赤い袴をはいた衣通姫が現われて、
「立ち返り またもこの世に跡垂れむ 名も面白き和歌の浦波」と詠むと病が平癒したという。
和歌三神は、和歌を守護する三柱の神で、玉津島明神、住吉明神、柿本人麻呂を指し、
玉津島神社、住吉大社、柿本神社は和歌三神の社として知られる。
 文治2年(1186)、藤原俊成が当社を京都の新玉津島神社に勧請し、京都における和歌神とした。
 慶長11年(1606)浅野幸長(よしなが)が社殿を再興し、その後、紀州藩初代藩主 徳川頼宜が整備した。

社殿西側には、大正10年に和歌山市高松から移転保存された天然記念物の「根上り松」(名称鶴松)がある。
南海電鉄和歌山市駅からバスで玉津島神社前下車、徒歩1分。参拝者用の駐車場がある。


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