田辺城跡

田辺城跡は、和歌山県田辺市上屋敷にある。
会津川河口の左岸に位置し、城郭は河口と海辺に隣接していた。
現在の錦水公園一帯が田辺城跡で、公園から石段を下りると、田辺城の唯一の遺構である田辺城水門(田辺市指定史跡)がある。
慶長10年(1605)洲崎(すざき)城が波浪により破壊されたため、慶長11年(1606)浅野幸長の執政 浅野左衛門佐氏重(あさのさえもんのすけうじしげ)により田辺城が築かれ、湊村(みなとむら)城、湊城、錦水(きんすい)城とも呼ばれた。
元和5年(1619)浅野幸長が安芸国(広島県西部)に国替えとなり、徳川頼宣が紀州藩主となった時に、紀州藩付家老 安藤帯刀直次(あなどうたてわきなおつぐ)が田辺領主(3万8千石)となった。
安藤直次(1555-1635)は、姉川の戦いや長篠の戦で功績を挙げた徳川家康の忠臣として知られ、紀州入封後は藩重臣として和歌山城下に常駐していたため、
田辺城には直次の従弟 安藤小兵衛(こへえ)を留守居役として置き、安藤家が代々城代家老を務めてきた。
明治4年(1871)廃藩置県とともに城は払い下げられ、城郭は破却された。
JR紀勢本線紀伊田辺駅下車、徒歩15分。



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