天保義民メモリアルパーク、天保義民の碑は、滋賀県甲賀市にある。
天保12年(1841)12月、江戸幕府は天保の改革の一環として、琵琶湖岸などの検地を開始した。
年貢増徴を企図したものであったが、賄賂で検分が変わったり、実際の長さより短い検地竿を用いたりした不正検地が行われた。
このため農民たちは一揆を計画し、指導者となった庄屋の中には、市原村の田島治兵衛、深川村の田中安右衛門、杉谷村の西浦九兵衛らがいたという。
天保13年(1842)10月14日未明、矢川寺(矢川神社)の鐘を合図に集まった数千人の農民は、検地奉行 市野茂三郎がいる三上村(現 野洲町)をめざして、野洲川周辺の農民を集めながら進み、10月16日に三上村本陣に殺到し、検地の中止を求めた。
これが「天保一揆」と呼ばれるもので、約4万人の規模に膨れ上がったとも言われる。
市野らは「検地10万日の日延べ」を認めたが、指導者たちは捕らえられ処刑された。
明治維新後の1869年に罪人の汚名が解かれ、義民たちが顕彰された。
当地のメモリアルパークと天保義民の碑は、義民150年を記念して、平成3年(1991)につくられた。
毎年10月15日には義民供養が行われる。
JR草津線甲南駅下車、徒歩15分。
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