栃尾観音堂は、奈良県天川村にある。
約300年前から当地の人々の信仰で守られてきた栃尾観音堂の尊体は、弘法大師の一夜の作と伝えられてきたが、
地元の人の熱意で、昭和47年に学術調査が行われ、江戸時代初期の遊行僧 円空(1632-1695)の作であることが確認された。
「円空上人」は、寛永9年(1632)美濃国中島郡中村(羽島市上中町)で生まれ、19歳で仏門に入り、天台僧として修験道を学んだといわれる。
その後、祈祷僧として寛文元年(1661)30歳の頃から生涯を旅に過ごし、庶民の中に生き抜いた遊行僧であった。
農民や漁民の信仰に応えるため、神仏の姿を刻んで与えるという宗教的動機から彫刻を志し、12万体の仏像彫刻の悲願を立てて日本全国を行脚して円空佛を残した。
天川村大峯山には、寛文12年(1672)から延宝3年(1675)までの間に、二度入峯し、山上ケ岳や小篠の窟などで越年修行を行っており、天川村で16体の円空佛が確認されている。
当栃尾観音堂には、その際に彫られた次の仏像4体が祀られている。
〇聖観音菩薩立像 (杉) 137cm
背面に内ぐりがあり、胎内仏(大日如来座像 5.6cm)と
仏舎利一顆及び銘記の紙片一葉が納められている。
〇大弁財天女立像 (杉) 85.7cm
〇金剛童子立像 (杉) 84.3cm
〇護法神像 (杉) 49.7cm
近鉄吉野線下市口駅からバスで1時間。栃尾観音堂前に駐車スペースがある。