東大寺 戒壇院 (戒壇堂 千手堂)は、奈良市にある。
天平勝宝6年(754)、当時の中国(唐)における戒律の第一人者とされる鑑真が来日し、大仏殿の前庭に仮設した戒壇で、聖武上皇らに授戒したのち、翌年9月に日本初の正式な授戒道場として、戒壇院が建立された。
創建当時は金堂、講堂、軒廊(のきろう)、廻廊、僧坊、北築地(きたついじ)、鳥居、脇戸(わきど)等があったという。(「東大寺要録」)
その後、治承4年(1180)、文安3年(1446)、永禄10年(1567)の三度にわたり火災にかかり、創建当時の伽藍はすべて失われた。
江戸時代に戒壇堂と千手堂だけが復興されたが、平成10年(1998)に千手堂は全焼し、平成14年(2002)に再建されている。
戒壇とは受戒の行われる神聖な場所で、受戒とは僧侶として守るべき事を確かに履行する旨を仏前に誓う最も厳粛な儀式である。
戒壇は三段で構成されているが、これは大乗菩薩の三聚浄戒(さんじゅじょうかい)(①摂律儀戒(しょうりつぎかい)、②摂善法戒(しょうぜんほうかい)、③摂衆生戒(しょうしゅじょうかい)を表したものである。(「三国仏法伝通縁起」)
戒壇堂の堂内中央には木像多宝塔、四隅には中門堂から移されたといわれる塑像四天王立像(国宝)が安置されている。
中央にある多宝塔は、享保17年(1732)に戒壇堂とともに再建されたものといわれ、塔内には、釈迦如来、多宝如来の二像(江戸時代 木造)がある。
これとは別に、釈迦如来、多宝如来の二仏坐像(銅造)が東大寺ミュージアムに保管されている。寺伝によると、鑑真和上が唐から請来したものといわれ、戒壇院創建当初は銅造の宝塔内に保管されていた。
四隅の塑像四天王立像は、各像それぞれに個性を表現しながらも、群像として見事な統一感をみせる天平彫刻の傑作といわれる。
千手堂(通常非公開)には、厨子入り千手観音立像(重文)が安置されている。
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