甲斐甲府藩主 徳川綱重供養塔は、和歌山県高野山奥の院30町石西にある。
天樹院千姫供養塔の西奥に位置し、供養塔前には石鳥居の一部と扉がある。
扉前の鳥居下に置かれた扁額には、「清揚院」と書かれている。
五輪塔地輪には、次のように刻されている。
(前面)
延寶六戊午年
正三位参議圓譽
(梵字)清揚院殿
天安永和大居士
九月十四日
(裏面)
奉爲前甲陽府君
(梵字) 綱重公御追福
正三位綱豊造立□
徳川綱重(1644-1678)は、三代将軍家光の第三子で、六代将軍家宣の父である。
母は、側室藤枝氏お夏で、幼時から家光の姉 天樹院(千姫)に引き取られ養育された。
慶安4年(1651)家光病没直前に甲斐甲府などに15万石が与えられ江戸、桜田の屋敷に住した。
甲府藩を承継した2代藩主綱豊が、宝永元年(1704)5代将軍綱吉の養嗣子となり家宣(いえのぶ)と改名した。
綱吉没後に、家宣が6代将軍となり、甲府徳川家は絶家となった。→ 周辺石塔の案内
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