土佐高知 山内家供養塔は、和歌山県高野山奥の院24町石南西にある。
中央に山内一豊の大型五輪塔があり、墓域内は中型五輪塔4基と、小型五輪塔6基、板碑1基がある。
山内一豊(1546-1605)は、安土桃山時代、江戸初期の大名で土佐藩祖である。
尾張に生まれ、父の山内盛豊は、岩倉城主 織田信安に仕え黒田城を預かったが、父戦死後、一豊は諸国を流浪した。その後織田信長に仕え、妻千代の内助の功で、馬を買って馬揃えに臨んだ話が知られている。
豊臣秀吉のもとで、各地の合戦に従軍し、近江長浜城主、遠州掛川城主となった。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは、徳川家康に属し、戦後土佐20万石を与えられて、高知城を築いた。
慶長10年9月20日高知城で病死した。法名は大通院殿心峯宗伝である。
北側中型五輪塔の中央は、山内忠直供養塔である。
山内忠直(1613-1667)は、土佐藩2代藩主山内忠義の次男として高知城で生まれた。
父が病で長兄の忠豊に家督を譲って隠居したとき、3万石を分与されて断続していた土佐中村藩を再興した。
忠直五輪塔の地輪には、法名「顕徳院殿(前修理大夫)傑岩宗英大居士」が刻されている。
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