唐招提寺

唐招提寺は、奈良市西ノ京にある律宗の総本山である。
鑑真和上(688-763)は、中国揚州大明寺の律僧で、広く戒律を講義し、長安・洛陽に並ぶもののない律匠と称えられた。
天平5年(733年)、聖武天皇の命により、伝戒の師を招聘するため、興福寺の栄叡(ようえい)と大安寺の普照(ふしょう)が遣唐使に従って渡航し、日本への僧の派遣を要請した。
当時すでに55歳に達していた鑑真は、みずから渡海を決意したが、五度も渡航に失敗し、その苦難の中で鑑真自身も失明した。
しかし、鑑真の決意は固く、天平勝宝5年(753年)六度目の渡海でようやく阿古奈波(沖縄)を経て、薩摩(鹿児島県)に漂着した。この時鑑真は66歳となっていた。
井上靖は小説「天平の甍」で、普照と鑑真の渡海の様子を見事に描きだした。
翌年鑑真は東大寺大仏殿の前にわが国で初めての戒壇を設け、聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇をはじめ四百余人の僧俗に菩薩戒を授け、758年に「大和上(だいわじょう)」の称号が与えられた。
公職を退いた後、天平宝宇3年(759年)に、天武天皇の第7皇子新田部(にたべ)親王の旧邸宅を与えられて、戒律の専修道場を創建したのが、唐招提寺の始まりである。
寺号の「招提」とは、仏の下で修行する人たちの場という意味で、戒律を軸として教学に励むわが国初の寺であったことから、「建初律寺」ともいわれた。
境内は、国宝17件、重要文化財200余件を擁し、建物それぞれの美しさと、古刹としての閑静さが天平時代の雰囲気を現代に伝えている。
和辻哲郎は、「古寺巡礼」において、「金堂は東洋に現存する建築のうち最高のものである。」と記している。
境内北側の御影堂には、肖像彫刻の最高傑作といわれる乾漆鑑真和上坐像(国宝)が安置されている。
毎年6月6日の開山忌舎利会の際、前後3日間だけ御影堂内が公開され、鑑真和上像を参拝することが出来る。
唐招提寺スマートガイドが利用可能で、音声解説と秘蔵映像を自分のスマートフォンで体験できる。
近鉄橿原線西ノ京駅下車徒歩6分。参拝者用の駐車場がある。(Y.N)

中興忌梵網会(うちわまき)

中興忌梵網会(うちわまき)は、鎌倉時代に唐招提寺を復興した覚盛上人の命日、5月19日に行われる。
戒律を重んじた覚盛上人は、法要中に上人の血を吸う蚊を叩こうとした弟子に「殺生をしてはいけない。蚊に血を与えるのも行のひとつである」と戒めたという。
せめて蚊を追い払えるようにと、慈悲深い上人を偲んで命日にうちわを供えたのが、伝統行事の起源といわれている。



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