継桜王子跡は、和歌山県田辺市中辺路にある史跡である。
継桜王子の社殿は、野中の氏神若一権現社でもあり、境内に「野中の一方杉」、周辺に「秀衡桜」「野中の清水」がある。
樹齢800年の9本の杉の巨木が、熊野那智大社のある南側だけに伸びていることから、野中の一方杉と呼ばれている。
藤原秀衡は、乳岩に乳児を残し、熊野本宮へお礼参りに向かっていた時、檜の切株にそれまで使っていた桜の木の杖を突きさした。
そして「自分が帰るまでにこの杖がもし青い芽をふいていたら、預けた子供はきっと無事に育っている」と心に念じて参詣に向かった。
参詣を済ませ戻ると、その杖に青々と桜の新芽が芽吹いており、乳岩の子供も無事であった。
この由来から、人々は桜の木を「秀衡桜」「継桜」と呼ぶようになったと言われている。
野中の清水は、環境庁の名水百選にも選ばれており、地元では、渇水でもこの水は枯れることがないと言われている。
松尾芭蕉の高弟である服部嵐雪の「すみかねて 道まで出るか 山清水」の句碑が建てられている。
JR紀勢本線紀伊田辺駅からバスで「野中の清水」下車、徒歩5分。(Y.N)