町石道 一里石は、和歌山県かつらぎ町の町石道144町石北側にある。
高野山の町石道には、町石の他に「里石」と呼ばれる石造五輪卒塔婆が建立されている。
里は、町と同じで、距離をあらわす単位で、6町が1里、50町を1里などと定められたこともあったが、当地の里石は36町が1里(3927.3m)となっている。
町石が、壇上伽藍からの距離を示すのに対し、里石は慈尊院からの距離を示している。
里石は、慈尊院から壇上伽藍まで、36町毎に一基、町石と並列して建立されている。
36町石に一基ずつ、里石を建立するため、180町石から1町石まで、五基の里石が建てられることになるが、現在は、1里石から4里石までの四基が残っている。
明和8年(1771)の「町石見分覚」によると、壇上伽藍の1町石の横に5里石があり、それには「弘安3年(1280)」の銘が彫られていた。
鎌倉時代に造立されたとされる当地の一里石には、次のように刻されている。
(正面) (梵字) 一里 沙弥覺仏 沙弥覺慈
(右側面) 為忠矛出離得脱
(左側面) 藤原高行
忠矛の成仏のため、覺仏と覺慈と藤原高行の3人が建立した。
木下浩良氏によると、藤原高行とは、鎌倉幕府の有力御家人 二階堂氏の一族の二階堂高行と推定され、高行の父は、貞衡といって従五位下で美作守であったという。
一里石と144町石の南側分岐には、「右ハぢそんいんみち 左はざいしやうみち」と彫られた道標石がある。
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