植村文楽軒墓所

植村文楽軒墓所は、大阪市天王寺区下寺町の円成院にある。
植村文楽軒(1751(1737)-1810)は、人形浄瑠璃文楽の芝居(後の文楽座)の創始者である。
本名は正井(一説に征木)与兵衛。淡路国仮屋(一説に阿波国)出身で、竹本座、豊竹座廃絶後の寛政年間(1789-1801)に大坂に出て、道頓堀の東、高津橋南詰西の浜側に人形浄瑠璃の席を開いた。
文楽軒は本人の素人義太夫の芸名で、植村は淡路の人形座の元祖といわれる上村源之丞をならったという。
当地の墓石には、台座に正井氏、戒名の「釋樂道」が刻されている。
4世の正井大蔵(文楽翁)(183-1887)が経営の才にすぐれ、座運を向上させ文楽中興の祖と呼ばれたことから、当地には文楽翁の碑が建立されている。



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