畝尾都多本神社

畝尾都多本神社(うねお(の)つたもとじんじゃ)は、奈良県橿原市木之本町にある。
啼沢の杜(なきさわのもり)に鎮座しており、本殿はなく、玉垣を囲んだ空井戸を御神体としている。
啼沢女命(なきさわめのみこと)を祭神とすることから、「哭沢(なきさわ)の神社(もり)」とも呼ばれている。
啼沢女命は、伊邪那美命(いざなみのみこと)が火の神を生み、亡くなったことを悲しんだ伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の涙から生まれた水の女神である。

古事記 神代巻には、「泣沢女神(なきさわめのかみ)」について次のように記されている。
「故、伊邪那美神は、火の神を生みにしに因りて、遂に神避り坐しき。
(中略)故爾に伊邪那岐命詔りたまひしく、『愛しき我が那邇妹の命を、子の一つ木に易へつるかも』と謂りたまひて、
乃ち御枕方に匍匐ひ、御足方に匍匐ひて哭きし時、御涙に成れる神は、香山の畝尾の木の本に座して、泣沢女神と名づく」

この神の性格は水の神、井戸の神といわれ、伊邪那岐の涙から生まれたことから、「泣き女」に関連するとの指摘もある。
泣き女は、不幸のあった家に雇われ、喪主に代わって泣くのを職業とする女で、死者の魂を慰め、あるいは招魂して生者との間を取り次ぐ巫女的存在ともいわれる。

持統天皇10年(696)高市皇子の殯宮の時、檜隈(ひのくま)女王がこの神社を怨んで
「哭澤の神社(もり)に神酒(みわ)すゑ祷祈(いの)れども わご王は高日知らしぬ」(万葉集巻二 ー 二〇二)
(哭澤の社に神酒を供え、回復を祈ったけれども、その甲斐なく高市皇子はお亡くなりになった。)
と詠んでいることから、命乞いの神とする説もある。

鳥居北側には、「泣澤女の神の杜」と題した石碑(下記に碑文あり)と檜隈女王の歌碑が建立されている。
また、拝殿東側には、稲荷社、八幡社がある。
近鉄大阪線耳成駅下車、徒歩20分。


「泣澤女の神の杜」碑文

此の神社は古く古事記上巻約千二百五十年前
香山の畝尾の木本に坐す名は泣澤女神日本書
記畝丘樹下所居神延喜式神名帳畝尾都多本神
社?靫万葉集巻二或書の反歌(類聚歌林檜隈
女王の歌であり)
石長此売神は寿命を司り泣澤売神は命乞の神
なり 平田篤胤玉襷)
春雨秋雨等語源的に澤女は雨に通す水神なり
 (本居宣長古事記伝)



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