渡辺浩歌碑

渡辺浩歌碑は、和歌山県高野山大霊園にある。
石碑には、次のように刻されている。
(参道側)
  とむらへば 亡き子の墓も 雪積みて
   高野しづけき 季となりけり 
                    浩
  高野山管長 森寛紹 書之
(碑陰)
 渡辺浩は、大正二年四月二十二日に愛媛県東予市壬生川に生まれ
昭和五十八年四月九日に大阪府堺市中百舌鳥の地で惜しまれつつ
この世を去った。実業家として活躍する一方昭和八年に竹柏会
「心の花」に入会、佐佐木信綱 石榑千亦(いしくれちまた)に師事して以来、歌人と
しても充実した生涯を送った。ことに 晩年に到達した透徹した
歌境は、高い評価を受けた。
 碑面の短歌は、昭和五十五年冬にこの地を訪れた折りの作で、昭和
二十五年三月に生後四日目に死去した長女 マリ子をしのぶ一連七首
中の一首である。
    佐佐木幸綱
 亡夫裕事 詠蓮院梁流雲居士 三回忌追善菩提の為 この碑を建立する
   昭和六十年三月 渡辺 綾子



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