与謝野晶子生家跡は、堺市堺区甲斐町西にある史跡である。
歌人与謝野晶子(1878-1942)は、明治11年12月に、この地で菓子商駿河屋を営む鳳宗七の三女として生まれた。本名は鳳志よう。
9歳で漢学塾に入り、堺女学校(現在の大阪府立泉陽高校)では、「源氏物語」など古典に親しんだ。
17歳から和歌を詠み始め、明治33年には歌人与謝野寛(鉄幹)が発行する「明星」に短歌を発表するようになった
晶子は、明治34年に与謝野寛のもとに上京するまで、この地で22年間を過ごしている。
現在生家跡には、「海こひし潮の遠鳴りかぞへつゝ少女(おとめ)となりし父母の家」という歌碑が建てられている。
この碑は、晶子没後20年の昭和36年に建立されたもので、巻物「春風抄」の中に記されている自筆を刻字したものである。また市内には20か所以上の晶子の歌碑が建てられている。
堺利晶の杜の与謝野晶子記念館には、「駿河屋」の店がまえと帳場が再現されており、晶子の堺での生活が紹介されている。
阪堺電気軌道阪堺線宿院駅下車徒歩1分。