養叟庵

養叟庵は、和歌山県橋本市矢倉脇にある禅僧養叟の旧跡である。
室町時代中期の禅僧養叟宋頣(1376-1458)は、京都の出身で、近江堅田の禅興庵で「孤高の禅僧」といわれた華叟宋曇について禅の修行を積んだ。
大徳寺の一休宗純とは、共に華叟の教えを受けた先輩(法兄)にあたる。
正長元年(1428年)師の華叟が入寂すると、養叟は京都紫野大徳寺大用庵に、一休は同・如意庵に住まいした。
文安2年(1445年)臨済宗の本山大徳寺の第26世となり、南禅寺同様に紫衣勅許の出世道場とした。
長禄元年(1457年)に、後花園天皇から「宋慧大照禅師」の勅号を賜っている。
養叟が、矢倉脇に来たのは享徳3年(1454年)前後で、平将門の子孫 牲川次郎左衛門将房(にえかわじろうざえもんまさふさ)は、宝形山徳禅寺を建立して養叟を迎えた。
養叟は、この地で晩年を過ごし、83歳で入寂した。
その後、徳禅寺は兵火で焼失し、場所もわからなくなっていたが、天保8年(1837年)に、紀伊藩と大徳寺が合同で調査した結果、養叟の旧跡であることが確認され、嘉永元年(1848年)に徳禅寺再建が発願され養叟庵が建立された。
元は少し離れた髙山にあったが、明治32年に現在地に移築され、平成時代には養叟苑として花がみられる庭園が約50m西に作られている。
南海高野線紀見峠駅下車、徒歩5分。



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