結城秀康公騎馬像は、福井市大手3丁目の福井城跡にある。
福井駅方面から御本城橋を渡ると、東側に騎馬像が建てられている。
結城秀康(1574-1607)は、越前福井藩の初代藩主である。
徳川家康の二男で、生母は永見吉英(ながみよしひで)の娘 於万(おまん)の方、幼名は於義丸である。
天正12年(1584)小牧長久手の戦いの講和で、豊臣(羽柴)秀吉の養子となって羽柴秀康と名のり、のち秀吉の命で下総(茨城県)の結城晴朝(はるとも)の養子となった。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは、宇都宮に在陣して、石田方(西軍)の上杉景勝、佐竹義信の進陣を防ぎ、その功で越前68万石に加増転封となった。
慶長6年(1601)に北庄(後の福井)に入り、新しい城の修築と城下の町割りなどを進めて、今日の福井発展の礎を築いた。
慶長12年(1607)34歳で病没したが、武勇と威厳を持つ武将で諸大名からも敬服され、2代将軍の秀忠も庶兄の秀康を尊重したという。
JR北陸本線福井駅下車、徒歩5分。
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