瑞光院 赤穂義士四十六士遺髪塔跡

瑞光院 赤穂義士四十六士遺髪塔跡は、京都市上京区にある。

瑞光院は、慶長18年(1613)浅野長政の旧跡地に、因州(鳥取県八頭郡)若桜(わかさ)城主 山崎家盛が臨済宗大徳の琢甫宗林和尚を開基として創建された。
明暦3年(1657)山崎家断絶後、第2世 陽甫(ようほ)和尚が播州赤穂城主浅野内匠頭長矩の内室 瑶泉院と俗縁にあり、かつ浅野家遠祖の旧蹟たる等の因縁で、瑞光院が赤穂浅野家の祈願寺となった。
元禄14年(1701)3月、浅野長矩が江戸城内松の廊下で吉良上野介に刃傷におよび、浅野内匠頭は切腹となった。
同年8月元赤穂藩家老の大石内蔵助が浅野長矩の衣冠を埋め、亡君(冷光院殿)の供養塔を建立した。

元禄15年(1702)12月、赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、本懐を遂げた後、翌年2月4日に義士46人が切腹する2日前に、瑞光院院主の使僧、宗海禅師が、細川、松平、毛利、水野の4家の大名屋敷に預けられた46人から髷の髪をもらい受けた。
帰京後、大石内蔵助良雄(よしたか)の遺志により、主君浅野内匠頭長矩の供養塔の傍らに46士の遺髪を瓶の器に納めて埋め、その上に遺髪塔として石塔一基を建立した。
石塔には46人の姓名と戒名が刻まれている。
赤穂義士のうち、寺坂吉右衛門は切腹していないため、刻名されていない。
この遺髪塔は昭和37年(1962)、当地から山科に移転した瑞光院において現在も祀られている。



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