叡福寺

叡福寺は、大阪府太子町にある単立寺院で、磯長山(しながさん)聖霊院と号する。
戦後に単立寺院となったが、もとは古義真言宗金剛峯寺の末寺で、所在地であるかつての郡名に因んで石川寺、磯長寺などと称されていた。
また聖徳太子(厩戸王)の磯長墓を祭護する性格の寺院であるところから太子寺、御廟寺、聖霊院の号もあり、四天王寺法隆寺とならんで太子信仰の中核をなす寺院である。
なお、一連の太子建立伝説をもつ八尾市大聖勝軍寺の「下の太子」、羽曳野市野中寺の「中の太子」に対し、「上の太子」と呼ばれて親しまれている。

創建は詳らかでないが、寺伝によると、聖徳太子がこの地を訪れ墓所の後ろの五字ケ峯にのぼり、五色の瑞光が輝いているのを見て、磯長谷に墳墓を造営したと願ったという。
太子は、推古天皇30年(622年)2月22日に49歳で斑鳩の宮で亡くなり、その数年前に生前墓を築いていたこの地に葬られた。
推古天皇は、墓を守護追福するため香華寺として方6町の土地を与えて坊舎を建立した。神亀元年(724年)聖武天皇は勅願により東西二院形式の七堂伽藍を建立し、東院を転法輪寺、西院を叡福寺と称した。
両寺は、天正2年(1574年)に織田信長の兵火により全焼し、叡福寺は豊臣秀頼により聖霊殿が再建され徐々に復興されたが、転法輪寺は再建されなかった。

境内西側に多宝塔と金堂があり、その奥に聖霊殿がある。
金堂には、本尊の聖如意輪観世音菩薩像、脇侍の不動明王と愛染明王が安置されている。
多宝塔(重要文化財)は、承応元年(1652年)に再建されたもので、東面に本尊の釈迦・文殊・普賢の釈迦三尊像、西面に金剛界大日如来を安置し、四本の柱には四天王像が描かれ、塔全体が仏殿となっている。
聖霊殿(太子堂、重要文化財)の本尊は、聖徳太子16歳の時の姿を模した聖徳太子孝養像で、もとは宮中にあり、文治3年(1187年)に後鳥羽上皇が行幸の際に下賜したといわれている。

寺宝の文殊渡海図、高屋連枚人(たかやのむらじひろひと)墓誌は、国の重要文化財に指定されている。
4月11日から12日の大乗会(上の太子御会式(ごえしき))は、「太子まいり」として多数の参拝者で賑わう。
近鉄長野線貴志駅または近鉄南大阪線上ノ太子駅から、バスで「太子前」下車すぐ。参拝者用の無料駐車場がある。



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