神倉神社

神倉神社は、和歌山県新宮市にある熊野速玉大社の摂社である。
千穂ケ峰(権現山、253m)の南端にある神倉山(199m)の山頂から少し下に位置し、御神体は「ゴトビキ岩」と呼ばれる巨岩である。
参道は、自然石を巧みに組み合わせて作られた538段の石段で、建久4年(1193年)源頼朝によって寄進されたといわれている。
神倉神社の祭神は、天照大神、高倉下命(たかくらじのみこと)である。
日本書紀(神武天皇紀)には、戊午年(紀元前3年)6月に「遂に狭野(佐野)を越えて、熊野の神邑(くまののみわのむら)に至り、旦ち(すなわち)天磐盾(あめのいわたて)に登る」と記されている。
神倉山は天磐盾の山にあたると考えられ、この時、高倉下命は天皇に「韴霊(ふつのみたま)」の神剣を捧げ、神武天皇はその神剣を携えて、八咫烏の道案内で熊野大和地方を平定したと伝わる。
ゴトビキ岩周辺からは、神倉山経塚が発見され、平安時代以来の祭祀遺物が出土している。
その下層から、袈裟襷文銅鐸の破片なども発見され、原始以来の磐座信仰の対象から、神仏習合に基づく修験者の修行場となっていたことがわかる。
社殿からは、新宮市内と太平洋が一望できる。
JR紀勢本線新宮駅から徒歩15分。参道登り口東側に、参拝者用の駐車場がある。



 御燈祭 

例大祭の御燈祭(おとうまつり)は、約1400年前から伝わる女人禁制の神事で、毎年2月6日に実施されている。
2月6日の夜、神倉神社のゴトビキ岩下の玉垣内に集まった白装束の上り子(あがりこ)たちが、手にした松明に火を灯してもらう。
狭い玉垣内は火の海となり、午後8時に玉垣の扉が開かれると、2000人を超える男衆が、松明を手にかざして暗闇の急な階段を一気に駆け下りて行く。
地元の新宮節で「山は火の滝下り龍」と歌われ、遠くから見ると、松明の列は龍が山を下るような光景となるといわれる。
新宮市出身の芥川賞作家 中上健次は、熊野市の事件や御燈祭を題材に、小説「火まつり」を書いており、映画化もされている。
勇壮な火まつりで、平成28年(2016年)3月に国の重要無形民俗文化財に指定された。

  



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