相浦道(あいのうらみち)は高野山参詣道の一つで、和歌山県伊都郡高野町にある。
相浦道は、相ノ浦集落から内護山(ないごやま)の東を経て笠松峠から高野山南谷の相ノ浦口に至る道である。
相ノ浦から紀伊山地の山々に続く山道は、東方面へは大瀧を経て熊野道、南方面へは花園新子(はなぞのあたらし)を経由して龍神道に合流する。
相ノ浦集落の北に高野山小学校旧相ノ浦分校があり、隣接して丹生神社が鎮座している。
紀伊国名所図会の佐久間信盛故居の項に、織田信長の重臣 佐久間信盛が天王寺城の城を退けられ、高野山を経て相郷という村に住み着いたと記されている。
豊臣秀吉が信盛の困窮を救うため、使者が金銭を持参するところが描かれている。
高野七口のひとつ「相ノ浦口」にあった女人堂の跡である。
相ノ浦口は、龍神、有田から高野槙の産地相ノ浦を経由して高野山に至る相ノ浦道ルートと女人道ルートの交差する地点である。
紀伊続風土記の「総分方巻之十二南谷」には、次のように記されている。
女人堂 山の堂ともいふ
本尊 地蔵菩薩 大師の作 南谷六地蔵の其一なり
六時の辻の南五町餘にあり 参詣の女人此所に宿す
當山七口の其一にて相浦口といふ
下乗札あり 花園荘相浦村まで壱里十一町許