飛鳥寺は、奈良県明日香村にある新義真言宗豊山派の寺院である。
法興寺、本元興寺(もとがんごうじ)、安居院(あんごいん)とも呼ばれる。
蘇我馬子が建立した日本最初の本格的な寺院で、推古天皇4年(596)にほぼ造営が終わり、推古天皇17年(606)には止利仏師作の本尊の釈迦如来坐像が安置された。
昭和31年(1956)の奈良国立文化財研究所による発掘調査の結果、塔を中心として、北、東、西の三方に金堂を配し、これらを回廊が囲む、いわゆる一塔三金堂の飛鳥寺式伽藍配置であることが明らかにされた。
大化元年(645)の乙巳の変で蘇我入鹿を殺害した中大兄皇子は当寺に立てこもり、天武元年(672)の壬申の乱でも近江朝廷軍が営所とするなど、7世紀の政治の舞台となった。
藤原京時代は四大寺の一つに数えられたが、平城京遷都に伴い、養老2年(718)金堂、塔などの一部の建物を残して平城京へ移転した。
この奈良の新寺は元興寺と呼ばれ、法興寺の由緒や資材は元興寺に継承されている。
旧伽藍は仁和3年(887)と建久7年(1196)の火災によって焼失し、室町以降は荒廃したが、寛永9年(1632)と文政9年(1832)に再建された。
本尊 釈迦如来坐像は、「飛鳥大仏」と呼ばれ、鞍作鳥(止利仏師)によって造られた日本最古の仏像である。
高さ約3mで当時銅15トン、黄金30㎏を用いて造られた。
平安、鎌倉時代の火災で罹災し、後補を受けており、仏頭と右手首3本のみが往時の止利仏師作のものといわれている。
堂内の飛鳥大仏の両側には、阿弥陀如来坐像(木像 藤原時代)と聖徳太子孝養像(木造 室町時代)が安置されている。
境内には、昭和12年に建立された万葉歌碑がある。佐々木信綱博士の筆による山部赤人の長歌と、上部には、近衛文麿の筆による篆額が刻まれている。
近鉄橿原神宮前からバスで飛鳥大仏前下車すぐ。
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