武田廿四将 馬場美濃守供養塔

武田廿四将 馬場美濃守供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
武田信玄勝頼墓所の南側にあり、東西方向に並んだ墓石の西端の供養塔には、「信翁乾忠大居士」と刻されている。
「信翁乾忠大居士」は、馬場美濃守信房の法名である。
馬場信房(信春)(1514-1575)は、甲斐武田家の家臣で、信虎、信玄、勝頼の3代に仕え、武田四天王の一人に数えられる。
天文15年(1546)侍大将となり、馬場虎貞の代で断絶した家を武田晴信(信玄)の命で再興した。
天正3年(1575)5月21日の長篠の戦いで、織田軍と戦いで戦死した。
初名は、教来石景政で、別に氏勝、政光、信勝とも呼ばれ、法名は、別に乾叟自元居士、龍嶽院殿大法寿山居士、大祥院殿賢誉信義住大居士などが残されている。
「武田二十四将図」においても、馬場美濃守信房が描かれている。



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