美福門院供養墓地(御墓(みはか))は、和歌山県紀の川市桃山町最上にある。
美福門院(1117-1160)は、鳥羽上皇の皇后である。
藤原長実(ながざね)の娘で名は得子(とくし)といった。
鳥羽天皇は、皇后待賢門院との仲が不和で、高陽(かや)院を皇后とした。
しかし、期待された男子が生まれず、藤原得子を入内させ皇子(近衛天皇)が生まれた。
永治元年(1141)には、近衛天皇の即位式で皇后となり、久安5年(1149)には美福門院の号を宣賜された。
保元元年(1156)鳥羽上皇の臨終に際して、安楽寿院で落飾し、法名を真性空と称した。
永暦元年(1160)44歳で亡くなり、鳥羽東殿で火葬された。
当地には樹齢300年とも伝えられる大きな楠が生い茂り、「奉為美福門院菩提也」と刻まれた五輪塔がある。
紀伊続風土記一には、上野村内の市場村との境にある一丈(約3メートル)四方の小高い芝原が美福門院墓で、
美福門院が亡くなった時、この地に分骨を埋葬し、槐(えんじゅ)(中国原産のマメ科の高木)を植えた。
宝永年間(1704-11)に高野山が建立した石灯籠や文化6年(1809)の美福門院650回忌法要に建てられた卒塔婆もある、と記されている。
江戸時代になると、安楽川地域では美福門院の隠棲地であるとする伝承が広がり、美福門院を追善するための施設として造られたものではないかと考えられている。
高野山には、鳥羽天皇皇后得子高野山陵がある。
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