豊後 岡 中川家供養塔

豊後 岡 中川家供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院28町石と29町石の中間で参道北側にある。
豊臣秀吉に仕えた武将中川秀成(ひでしげ)が、文禄3年(1594)に豊後(大分県)岡城に入城した。
秀成は、関ヶ原の戦いで、西軍の臼杵城主の太田一吉を攻撃しその戦功で徳川家康によって所領を安堵された。
当地の墓所は、大型五輪塔4基、小型五輪塔7基、宝篋印塔1基がある。
大型五輪塔4基は、東側(写真向かって右側)から、
7代 久慶(巍然院殿鐵心如山)、
初代 秀成(碧雲寺殿圓翁宗鑑)、
4代 久恒(寶浄院殿榮松久山)、
9代 久持(巖祇院殿日新敬山)
の各供養塔である。
秀成の読み方について、新訂寛政重修諸家譜や日本人名大辞典などで、「ひでなり」と記されているが、近年古文書で「ひでしげ」と記したものが発見された。
初代中川秀成供養塔は、台風被害で倒壊したため、地輪の上部半分と水輪、火輪が後補されているため、写真でも色が異なっている。
宮川良彦著「高野の石佛」の「二石地輪」の記事によると、最上義光供養塔と同様に、地輪が二石二重となり、上下が三と二の比であわされている。
二重地輪の場合は、その肉石部の上下部を少しえぐりとり、胎内物を納めたとの伝説があるという。



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