信州阿島知久伊左衛門直正公供養塔

信州阿島知久伊左衛門直政公供養塔は、和歌山県高野山奥の院燈籠堂東側にある。
五輪塔と板碑及び燈篭が建てられている。
江戸時代に書かれた「高野山奥院総絵図」(下部写真)及び「紀伊国名所図会」によると、
燈籠堂南東方向に、「知久監物」、及び、「加藤式部」と供養塔の絵図が描かれている。

供養塔の文字は判読が難しいが、水原堯榮氏「高野山金石図説」によると、次のように刻されている。
信刕下伊郡部阿嶋藤原氏知久伊左衛門尉
(梵字)前従四位下孫紹用全功居士神儀
寛文十一辛亥五(寿正)月二十日爲(奉)祖父也
直頼建立

知久氏は、信濃国伊那郡の小豪族で、寛政重修諸家譜では、清和源氏満快流を称している。
知久直政の父 知久則直は、信濃伊那郡で三千石を領していた。
寛政重修諸家譜346巻によると、次のように記されている。
 直政(なおまさ) 伊介、内蔵介、伊左衛門、母は頼龍が女。
    元和元年はじめて台徳院殿に拝謁す。時に十二歳。
    正保元年十二月二五日遺跡を繼。
    寛文十一年正月二十日死す。年六十八.法名全功。
    妻は松平和泉守家乗が女。 

元和元年は、西暦1615年で、台徳院殿は、徳川第二代将軍 徳川秀忠である。
知久直政は、信仰心厚く多額の寄進をしたため、弘法大師御廟近くに供養塔が建立されたと言われている。



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