筑前博多 米一丸供養碑

筑前博多 米一丸供養碑は、和歌山県高野山奥之院の一の橋北側にある。
鎌倉時代、駿河の国で木島長者と呼ばれた朝臣元直という上級貴族が、40歳を過ぎて子宝に恵まれた。
生まれた米一丸(よねいちまる)は才覚に優れ、20歳の時に絶世の美女八千代姫を妻としたが、横恋慕した主君、一条殿の策略によって博多で夜襲に遭い、
命からがら逃れたものの、箱崎の地で自害を遂げたといわれている。
高野山の供養塔は、昭和56年(1981)に建立されたもので、背面には次のように刻されている。

   後鳥羽天皇文治三年(1187)八月十八日
   博多千代の松原に於て自刃 享年廿二歳
 為七百九十五回忌追善供養也
   施主 卍教団八葉念仏派 筑前方
       別格本山妙善院住職 八尋妙善尼
       昭和五十六年(一九八一)夏七月建之


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