智積院は、京都市東山区にある真言宗智山派の総本山である。
五百佛山(いおぶさん)と号し、大日如来を本尊とする。
もと紀州根来山の学頭寺智積院(ちしゃくいん)であったが、豊臣秀吉の焼き討ちにあった。
学頭玄宥僧正(1525-1605)は、難を京都に避け、後に徳川家康の帰依を受けて慶長6年(1601)に豊国神社境内の坊舎と土地を与えられ、智積院を再興した。
その後、祥雲禅寺を拝領し、現在に至っている。
祥雲禅寺は、豊臣秀吉が長男鶴松(棄丸)の菩提を弔うために建立した寺で、当時は東山第一といわれた。
収蔵庫にある豪華な襖絵は、長谷川等伯とその一門の筆といわれ、桃山時代の代表的壁画として、国宝に指定されている。
張即之筆金剛経(国宝)、南画の祖といわれる王維の龍図(重要文化財)などの寺宝を有する。
大書院の庭(智積院庭園、国名勝)は、利休好みの庭といわれ、築山と苑池からなる観賞式林泉で、京洛名園の一つに数えられている。
境内本堂前には、中興の祖の玄宥僧正像がある。
JR京都駅からバスで東山七条下車、徒歩3分。