出羽上山藩主 松平重忠夫妻供養塔

出羽上山藩主 松平重忠夫妻供養塔は、和歌山県高野山奥の院20町石南にある。
参道から階段を5~6段登った区画内にあり、大川家供養塔の北側(中の橋側)が松平重忠供養塔、南側(一の橋側)が同夫人長昌院供養塔である。
木下浩良氏の「戦国武将と高野山奥之院」によると、各供養塔地輪には、次のように刻されている。

松平重忠供養塔(写真A)
生國三州岡崎今者豊前住
前松平丹後守重政公追善也
       桐林院殿前刺史
(梵字)爲
       英誉長安大居士
施主息松平丹後守重直敬白
寛永十二乙亥年七月十一日

松平重忠夫人長昌院供養塔(写真B)
生國三州岡崎今者豊前
之住爲慈母大菩提
      長昌院殿清誉
(梵字)爲
      法春大信女也
子息松平丹後守重直敬白
寛永十二年乙亥八月廿九日

松平重忠(1570-1626)は、能見(のみ)松平家の松平重勝の長男として生まれた。
初名は重政、通称は伝三郎と呼ばれた。
元和7年(1621)遠江(とおとうみ)横須賀藩主となり、駿府城代を兼ねた。
元和8年(1622)出羽上山(かみのやま)藩主(4万石)となり、寛永3年7月11日に死去した。(享年57歳)
奥の院中の橋北西には、父の松平重勝供養塔がある。



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