松平(能見)重勝供養塔

松平(能見)重勝供養塔は、和歌山県高野山奥の院中の橋北西にある。
参道沿いには、遠州掛川北條家供養塔と豊津団平墓所があり、その奥の松平(能見)家一族墓所内で最も高い五輪塔が、松平(能見)重勝供養塔である。
五輪塔地輪には次のように刻されている。(木下浩良氏「戦国武将と奥之院」)
本國三州今駿刕住
爲松平大隅守殿
施主息源朝臣松平丹後守忠次同内膳正重則
     松岳院殿
(梵字)  大禅定門
     雄譽助白
施主孝子出雲守殿勝隆
同息女都鶴
元和六年十二月十四日

松平重勝(1549-1620)は、江戸時代前期の大名である。
天文18年(1549)に、父は松平(能見)重吉、母は松平兵庫助親長の女のもと、三河国で生まれた。
その後、長篠の戦いなどで戦功を上げ、慶長8年(1603)には越前守、のち大隅守に任ぜられた。
慶長17年徳川家康6男の松平忠輝の家老となり、重勝も越後三条で2万石が与えられた。
元和2年(1616)忠輝が大坂夏の陣の怠戦を咎められ改易されると、重勝は徳川秀忠に召されて仕え、元和3年下総関宿に2万6千石で封ぜられた。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、当地松平家墓所には、重勝五男の松平出雲守勝隆供養塔がある。
また、松平重勝長男の出羽上山藩主松平重忠夫妻供養塔は、奥の院20町石南にある。
松平重勝二男の松平大隅守重則供養塔は、奥の院28町石北東にある。



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