出羽本荘藩 六郷家供養塔

出羽本荘藩 六郷家供養塔は、和歌山県高野山奥の院28町石北東にある。
参道右手の慈眼堂 河野宗寛(大渕)老師 歌碑を過ぎたところを右に入り、一段下がった所で、土浦藩 朽木家供養塔の西上に位置する。
案内図「高野山奥の院の墓碑を訪ねて」では、本庄藤原家供養塔と記されている。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、当地墓域内には中型五輪塔5基、角柱型墓標4基、櫛形墓標3基がある。
主な石塔は次のとおりである。

 写真番号  供養者名  没年  法名  備考
 ① 出羽国本荘藩 4代藩主
六郷 政晴
寛保元年
(1741)
善性院殿
法譽祖蓮大居士
六郷阿波守政晴 
 ② 出羽国本荘藩 5代藩主
六郷 政長
宝暦4年
(1754)
瑞林院殿
鳳山玄祥大居士
 
 ③ 出羽国本荘藩 6代藩主
六郷 政林(まさしげ)
寛政9年
(1797)
徳巖院殿
光道良淳大居士
地輪には、
女性の法名もあり 
 ④ 出羽国本荘藩 7代藩主
六郷 政速(まさちか)
文化9年
(1812)
寛廣院殿
仁達良智大居士
地輪には、
女性の法名もあり
 ⑤ 出羽国本荘藩 8代藩主
六郷 政純(まさずみ)
文政5年
(1822)
寛量院殿
仁聡良慧大居士
地輪には、
女性の法名もあり 

六郷氏の出自は藤原氏流で、鎌倉幕府の政所執事 二階堂氏を祖とする。
「寛永諸家系図伝」では、道行(みちゆき)の父 阿波守某が出羽国仙北郡六郷(秋田県美郷町)に居住し、六郷氏を称したのに始まるという。
六郷道行の子 六郷政乗(まさのり)は、豊臣秀吉の小田原征伐に従軍し、関ヶ原の合戦では徳川方に属して功をあげ、六郷4500石から、常陸国新治郡府中(茨城県石岡)に1万石の大名として加増移封された。
元和9年(1623)最上家が改易となり、その旧領であった出羽本荘に2万4百石で移封となって、六郷家はその後11代続いて明治維新を迎えている。



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