道明寺は、大阪府藤井寺市にある古義真言宗の尼寺である。
寺伝によれば、道明寺の前身は土師寺で、古墳造営に携わった土師氏の氏寺として7世紀に建立された。
寺は、一時衰退したが、菅原道真の時に再興され、菅原道真の号であった道明をとり、天慶4年(941年)から連土山道明寺と改称された。
創建時の土師寺は、現在の道明寺天満宮の南側に位置していたが、明治時代の神仏分離により、天満宮と分離され、現在地に移転した。
江戸時代の構内図で、南大門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ四天王寺式の伽藍配置であったことが知られている。
本尊の十一面観音菩薩立像は、檜の一木造りで、代表的な檀像彫刻として国宝に指定されており、毎月18日と25日に、本尊を拝観できる。
菅原道真は、叔母の覚寿尼のいた当寺を訪れ、36歳の時に十一面観音を彫刻し、40歳の時には、五部大乗経を書写した。
それを納経した場所に、謡曲「道明寺」で有名な木槵樹(もくげんじ)が自生したといわれる。
道真が、大宰府に下向する前に、覚寿尼の元に立ち寄り、次の一首を残している。
啼けばこそ 別れもうけれ鶏の音の
鳴からむ里の 暁もかな
歌舞伎の菅原伝授手習鑑 道明寺では、最後の場面で、菅承相(菅原道真)が次の歌を披露している。
鳴けばこそ 別れを急げ鶏の音の
聞こえぬ里の 暁もがな
浄瑠璃作者が、当時の旅の案内資料を元に、歌を作ったために一部違ったものになったと言われている。
また歌舞伎の菅原伝授手習鑑 道明寺では、浄瑠璃節で当寺について次のように詠われている。
さすらえの身のおんなげき 夜は明けぬれど 心の闇路 照らすは法(のり)の御誓い
道明らけき寺の名も 道明寺とて 今も猶 栄えまします 御神の 生けるがごとき 御姿 ここに残れる物語 つきぬ思いに せきかぬる 涙の玉の木槵樹
近鉄南大阪線道明寺駅下車、徒歩5分。