越前福井(北ノ庄)藩主 松平忠直供養塔は、和歌山県高野山奥の院30町石西にある。
千姫供養塔の南側に松平忠直正室の勝姫(天崇院)供養塔があり、隣接して松平忠直供養塔がある。
鳥居上部の扁額には、西巖院とあり、五輪塔の地輪には次のように刻されている。
従三位宰相源朝臣
忠直公爲御菩提
慶安三庚寅年九月十日
西巖院殿
(梵字)爲
相誉蓮友大居士
施主孝子越後國高田
城主従三位兼松平
越後守源朝臣光長公
松平忠直(1595-1650)は、徳川家康の二男 結城秀康の長男として生まれた。→ 高野山奥の院 結城秀康霊屋
慶長12年(1607)父秀康の領地 越前国福井藩(67万石)を相続し、慶長16年(1611)2代将軍徳川秀忠の三女 勝姫を娶った。
元和元年(1615)大坂夏の陣では、真田幸村を討つなど戦功を挙げたが、従三位参議に叙せられただけであったので、幕府に不満を抱き、その後家臣の成敗など乱行を繰り返したため、元和9年(1623)豊後萩原に配流された。(越前騒動)
小説家菊池寛は、配流先の竹中采女正重次が幕府の土井利勝に送った「忠直卿行状記」に言及しつつ、大正7年(1918)に自身の小説「忠直卿行状記」を著している。
当地の五輪塔は、長男の松平光長が建立した。→ 周辺石塔の案内
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