松平(結城)秀康及び同母霊屋

松平(結城)秀康及び同母霊屋は、和歌山県高野山奥の院の越前松平家の墓所にある。
松平(結城)秀康(1574-1607)は、越前福井藩の初代藩主である。
徳川家康の二男で、生母は永見吉英の娘 於万(おまん)の方である。
天正12年(1584年)小牧長久手の戦いの講話の際に、豊臣秀吉の養子となって羽柴秀康と名乗った。
1590年下総(茨城県)の結城晴朝(はるとも)の養嗣子(ようしし)に入り10万1000石となった。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの功によって、越前68万石へ加増転封され、慶長12年に34歳で病没した。→ 結城秀康公騎馬像
向かって右の霊屋が、松平秀康を祀るもので、慶長12年(1607年)に、越前福井藩二代目当主忠直によって建立された。→ 越前福井(北ノ庄)藩主 松平忠直供養塔
三方の石壁には、二十五菩薩の浮彫仏像が彫刻されており、内部には、一族5人の宝篋印塔がある。
石廟を建立した結城忠直は、乱行が理由で元和5年(1619年)豊後萩原に流罪となり、竹中采女正に預けられ、慶安3年(1650年)に56歳で死去した。
左側は、秀康自身が母公を祀るため、慶長9年(1604年)に建立したものである。
2棟とも越前の笏谷石が用いられ、幅奥行きとも7.5mの二基の石廟が並んだ形で、瓦、壁、柱、扉に至るまですべて石造りとし、木材はほとんど使用されていない。
笏谷石(しゃくだにいし)は、火山灰などが固まった凝灰岩の一種で、鉱物の変性による緑がかった色が特徴といわれる。
越前丸岡城では、屋根が笏谷石で葺かれている。
国の重要文化財に指定されており、世界遺産にも登録されている。


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